日本は規制の導入にあたって資本に株式の含み益を算入することを要求し、結果的に含み益の45%を自己資本に算入することを認められる。当時はバブルで株価が高く、銀行は企業と持ち合いを続けていたため、銀行の自己資本比率は高い水準を維持できた。それを背景に邦銀は融資攻勢をかけつづけた。ただ、邦銀の戦略はバブル崩壊で挫折する。自己資本に算入していた株式の含み益は目減りし、邦銀の自己資本は縮小した。8%以上の自己資本比率を維持するためには、分母の融資を減らさざるを得なくなった。
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それに伴って日本の国際市場での競争力は一気に低下した。一方で、この規制を受けて欧米銀行は簿外(オフバランス)取引に舵を切った。帳簿(バランスシート)取引は自己資本の負担が重いため、BIS規制で資本負担がかからない取引に駆け込んだ。その有力な手段が、金融派生商品(デリバティブ)や証券化だった。とりわけ証券化は、BIS規制を回避する「抜け穴」として利用された面がある。銀行が特別目的会社(SPC)を作って、そのSPCが資金を調達し不動産などに投資した。もともと銀行が自らのバランスシートで手がけていた業務を、証券化という手法を使って別動隊であるSPCが実施する形を作り上げた。このオフバランス取引の強化は、金融技術の高度化を促した。ロケット開発にあたったような科学者がリスク管理の手法を開発し、金融取引のレベルは80年代からは飛躍的に上がった。日本の銀行は不良債権問題に忙殺されていたこともあって米銀に全く歯が立たなくなり、邦銀の周回遅れと揶揄された。しかし、オフバランス取引には副作用があった。高度な取引は一般投資家には理解しにくくなった。しかも、情報開示はオンバランス取引よりも甘く、外部からは実態が窺い知れなくなった。にもかかわらず自己資本の負担が軽いため急拡大していった。それが典型的に表れたのが、信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題だった。証券化やオフバランスの仕組みを駆使して、不透明な取引がチェックもされないまま急増し、住宅価格の下落とともに行き詰まった。BIS規制の抜け穴を利用した取引が急増し、それが崩壊したわけで、BIS規制が混乱の責任の一端を担っているのは間違いない。